デモのゴール地点

東京・高円寺でリサイクル店などを営む「素人の乱」が呼びかけた。デモに先立つ集会で、素人の乱5号店店主の松本哉氏は「事故が続いている状態で、今も原発を動かそうと言っているのはみっともない。今こそ止めるしかない」と呼びかけた。また、社会学者の小熊英二氏も「原子力は超法規的な権力がなければ扱えず、民主主義と相容れない」と問題点を指摘した。

デモのゴール地点となった新宿駅東口のアルタ前広場はデモ参加者で埋め尽くされた。福島県内からやってきた女性は「この3か月間、たくさんの涙を流した。こんな思いをするのは私たちだけでたくさん」と訴えて

政権がメルトダウンする一方で、国民は原発事故から大きな教訓を学びつつある。事故は自然災害というだけではなく、人災の側面があった。正しい安全対策があれば、事故は避けられたかもしれない、という教訓である。
 安全対策はなぜ十分ではなかったのか。ひと言で言えば、政治家と霞が関、学会、電力会社さらにマスコミも一体となって「安全神話」をつくりだしてきたからだ。いわゆる「政官業学報ペンタゴン(五角形)」の構図である。
 原発の安全監視をする原子力安全・保安院経産省の外局になっていた。経産省は同じ外局に原発推進の旗を振る資源エネルギー庁を抱え、歴代幹部は何人も電力業界に天下っている。保安院とエネ庁は同じ官僚が行ったり来たりしている。退職後の世話になりながら、原子力安全・保安院が十分な安全監視をできるわけがない。
 内閣府の審議会である原子力安全委員会も似たようなものだ。ここには原発推進派の学者が特別職公務員として入れ替わりで陣取っていた。元委員長の一人はテレビのインタビューで「(十分な安全対策を実施するには)費用がかかる」と発言している。
 税金で年間一〇〇〇万円以上の報酬を受け取りながら、電力会社の利害を代弁していたのだ。多くの政治家は票とカネの世話になっていた。マスコミにとっても電力会社は有力なスポンサーだった。
 そうやってつくられた安全神話の下で、原発の安全対策はなおざりにされてきた。電力自由化再生可能エネルギーを活用していく政策は形だけにとどまった。
 原子力村と呼ばれる官業学トライアングル(三角形)はいまも強固な基盤をもっている。政府が決めた東電賠償案すなわち東電温存策こそが証拠である。先に紹介した細野エネ庁長官の発言は銀行に債権放棄を求めた枝野発言を批判する内容だったが、それは銀行の金融支援が東電存続の鍵を握っていたからだ。
 政府が賠償負担せず、銀行も金融支援から手を引いてしまえば、東電はその分のコスト増を電気料金引き上げで国民に転嫁せざるをえなくなる。そうなると「国民負担の極小化」という宣伝文句がでたらめと分かってしまう。だから細野は枝野を批判したのだ。