カイロなど複数の都市

エルバラダイ氏は演説で、ムバラク政権への抗議行動は「後戻りしない」と強調。「我々には、ムバラク政権の終わりと、新たなエジプトの始まりという要求がある」「我々は正しい方向に向かっている」などと呼びかけた。

 ただ、国軍の戦車や兵士らで囲まれた広場に演台やマイクはなく、拡声機を使ったエルバラダイ氏の短い演説は、大多数のデモ参加者の耳には届かなかった。

 エルバラダイ氏は演説に先立ち、米CNNテレビなどのインタビューで、「私は抗議デモを組織する人々やその他多くの党派から、挙国一致政府の結成を委任された。国軍と連絡を取りたい」とも語った。反政府運動はインターネットなどを通じて草の根的に広がったものの、求心力のある人物や組織に欠けていた。エルバラダイ氏の下に結集すれば、一大政治勢力に発展する可能性もある。

 今秋のエジプト大統領選への出馬も取りざたされたエルバラダイ氏は、滞在先のウィーンから27日にカイロ入り。一時は治安当局による「軟禁説」も流れたが、主にメディア出演などを通じて反政府デモを後押ししてきた。ムバラク政権を打倒し、暫定政権を率いる用意があることを明らかにしている。

ムバラク政権打倒の声が響くカイロ中心部タハリール広場。だが、その政権の「先兵」であるはずの国軍に対し、反政府デモ参加者はむしろ好意的だ。29日も、デモ参加者は、戦車や装甲車を取り囲み、兵士らに話しかけ手を振った。移動する軍用車両の上に鈴なりになって、「ムバラクは去れ」のポスターや兵士と一緒にエジプト国旗を打ち振る人たちの姿もみられた。

 国軍人気の理由について、カイロのある男性はこういう。「国軍はイスラエルとの中東戦争で最前線で国土と国民を守ってきた。第4次中東戦争(1973年)で、イスラエルを打ち破り、シナイ半島返還に結びついた。彼らは英雄さ」

 エジプトが徴兵制を敷いていることも背景にある。選抜式徴兵制で、男性は1〜3年間兵役につく。大半が軍の活動を実体験するため、「親近感を持つ者が多い」(西側軍事専門家)。

 とはいえ、国軍は、空軍出身のムバラク大統領の権力の源泉であることは間違いない。国内各地で続発する反政府デモにもかかわらず、大統領が退陣要求を拒否し続けられる最大の理由の一つは、国軍からの支持だ。

 タハリール広場でデモに参加していたアハメドさん(38)は「確かに軍は撃つかもしれない。それでも我々はムバラクが去るまで、ここにとどまる」と意気盛んだ。

 国軍の人気は内務省に属する警察など治安部隊に対する憎しみとは対照的だ。本来、国軍はイスラエルなど外国の攻撃から国を守る組織であるのに対し、内務省の治安部隊は、住民監視が主任務だ。

 治安機関は今回の騒乱以前も、約30年間施行されたままの非常事態令で付与された大幅な権限で、令状なしの身柄拘束や拷問などを日常的に行ってきた。こうした治安機関は、国民にとり恐怖や憎しみの対象だ。また、職業軍人に比べ警察官は給料も低く、教育を十分に受けていない者も多い。国民の尊敬の対象になっていない。

 治安部隊の方が、より直接的な「民衆の敵」として認識されている。軍歴のあるカイロ住民のアデルさん(40)は「国軍が好かれているというより、警察が嫌われているのさ」と語った。

 ◇消えた警官、略奪横行
 カイロなど複数の都市で街から警官が姿を消し29日夜から30日朝にかけて、商店や事務所などへの略奪行為が多発した。住民は自警団を組織し、鉄パイプやこん棒などを手に徹夜で警戒に当たった。

 地元メディアなどによると、治安維持の権限は警察から国軍に移り、警官に代わり兵士が街頭に展開することになった。だが、軍は人が集まりやすい広場や大きな交差点などに兵士や軍車両を配置しただけで、市民生活の治安維持は事実上、野放し状態になっている。

 「すぐに(国軍)兵士が来る。それまでは自分の手で家族や財産を守らなければ」。外国人も多く住む高級住宅街ザマレクで29日夜、音楽家のアフマドさん(40)は、こう言った。片手に譜面台用の鉄の支柱、もう片方の手には小型の消火器を握り締める。10人ほどの自警団はつえや物干しざおで「武装」、道路に障害物を置いて車やバイクを止め、身元確認などを行った。

 「警官の制服を着た男を見たら疑ってかかれ。警察車両が襲われ、制服や武器が奪われたという話がある」。深夜、別の自警団のメンバーからこんな情報が寄せられると一気に緊張が高まった。闇の中でも誰が自警団か分かるように、全員が左腕に白い布を巻き付ける。未明まで街頭のスピーカーから自警団への参加を求める声が響き渡った。