クイーン・アンズ・リベンジ号

黒ひげは海賊への転身からわずか数年で名をはせた。カリブ海や植民地時代のアメリカの沖合を荒らしまくり、最後は1718年にノースカロライナ州のパムリコ湾でイギリス海軍との戦いに敗れ死亡した。

 黒ひげがわざと船を座礁させ、高価な略奪品を奪われないようにしたという説もある。略奪品の存在は、1997年に発掘調査が開始されて以降、沈没船と黒ひげを結びつける手掛かりとなった。次のような品物が発見されている。

− 18世紀のフランス王家の紋章「フルール・ド・リス」が装飾された調剤用の分銅。クイーン・アンズ・リベンジ号の前身はフランスの奴隷船「ラ・コンコルド」号で、1717年に黒ひげが奪取した。海賊の仲間入りを余儀なくされた船医がこの分銅を所有していた可能性が高い。

− 鉛の散弾と共に見つかったわずかな量の金粒。黒ひげの手下に見つからないよう、ラ・コンコルド号の乗組員が弾丸を入れた樽(たる)に隠していたとみられる。

沈没船から回収した品物を大規模展示する企画、『黒ひげのクイーン・アンズ・リベンジ号』が州立の同博物館で開催されている。これ以上認定を遅らせたら、タイトルを『クイーン・アンズ・リベンジ号とされる沈没船の引き揚げ品』と変更しなくてはならない。