再生可能エネルギー

日本の政治は危機だが、議論は無意味だ。やるべきことは決まっているのに、実行されない。それは組織の問題もあるが、主に個人的な資質の問題で、しかも、今のトップはとりわけ悪いが、他の代替案も抜本的な解決にはなりそうもない。したがって、合理的に考えると日本の政治を議論することは全く意味がない。

そうなると政策議論も当然無意味だ。いい政策であれ悪い政策であれ、いかなる政策も実行されないのであるから、議論するだけ無駄だ。

そこで、今日は、議論が意味を持つIMFの人事について考えてみよう。IMFの専務理事は、セックススキャンダルで交代となり、後任に何人かの名前が挙がっている。

IMFは欧州、世界銀行は米国という暗黙の役割分担の維持から、欧州、それもフランスを引き継ぎ、ラガルド財務相が最有力となっている。

一方、この既得権益に反発した新興国群は対立候補を模索しているといわれており、フィッシャー・イスラエル中銀総裁がIMF専務理事に立候補の可能性、とWSJは報道している。

彼は、米国代表のような気もするが、それはさておき、ラガルドという政治家とフィッシャーという保守本流エコノミストとのどちらが世界経済にとって有益か考えてみたい。

ラガルドはテレビからもわかるが、直接会うととんでもないオーラの持ち主で、女性という枠組みを超えて、何者もをひれ伏させるようなイメージがある。一方、フィッシャーは、学者としてのも極めて評価が高く、IMFへ行ってからも、学者の枠にとどまらず、極めて評価が高く信頼されていた。理論的、政策的ポジションも極めてニュートラルで、欠点が見当たらない。

私自身は大蔵省当時にIMFの審査に対応し、日本に来たフィッシャーの誠実なスピーチに静かに感銘を受けた覚えがある。

となると、経済学者としては、IMFの組織経験も長く、IMFというのはエコノミスト集団だから、フィッシャーの方が良いに決まっているとなりそうだが、そこはなかなか難しい。

IMFは執行部隊は完全にエコノミスト、それもPhD集団で、学者を目指した中で、実務もやりたい人々の集まりで、しかもレベルが相当高いので、組織を仕切るにはアカデミックなカリスマは必要だ。しかし、同時に、理事会は各国の出資比率に基づいた株主総会で、この決定権は重く、また出資比率も政治的に制限されており、経済力を伸ばしたからといって、出資比率を自由に上げられるわけではなく、まさに政治的な力関係がすべてだ。

こうなると、IMFが誤った政策を取る可能性があるのは、政治的な介入があったとき、政治的判断が諸悪の根源となる。そうなるとますます政治家をIMFの実務のトップに据えることはマイナスのように思えるが、それはむしろ逆で、毒をもって毒を制すではないが、政治は政治力でしか抑えられない

実際、九州電力の発電量の2%は地熱発電によりまかなわれているし、風力発電に関しては、最大で原発40基分の発電量が見込めるという環境省の試算もある。しかし、島田教授は、すぐに原発の代わりを担えるわけではないと語る。

「1つは、コストの問題。同じ電力量なら、風力、地熱発電は、原子力発電の約3倍、太陽光発電は約9倍のコストがかかるといわれています。そして、設置場所の問題。例えば、風力や太陽光で原発や火力発電所並みの発電量を得るには、広大な土地が必要になります」

ただし、コストは普及が進めば下がるし、土地の問題も洋上利用や電力の供給地域を細かく分け、地域内で自家発電をするようなシステムなどで解決できるという。

再生可能エネルギーが実用化されると、現在の大規模送電インフラは見直され、小規模地域での電力供給が普及するのではないでしょうか。2050年頃には、総発電量の5割前後を再生可能エネルギーが占める可能性もあると思います」