アクティブ運用

暫定的に市場の効率性の定義を与えておこう。市場が効率的とは、

(1)情報が効率的に伝わり、 (2)市場参加者が正しく解釈するので、 (3)正しい価格が実現している状態のことだとする。 つまり、株式市場でいえば、正しい株価が常に形成されているということだと考えよう。この定義は、正しい資産価格の下に資金・資源が配分されるので、(4)資産市場は、経済の資源配分の効率性にも貢献している、という含意を持っている。

<質問1>
市場が効率的なら、プロが運用するアクティブ・ファンドも市場平均に勝てない、というのは確からしいか?

これの答えは、「Yes」でいいだろう。常に株価が正しく形成されているということは、他人よりも有利な投資を行うチャンスがないということだから、前記の意味で市場が効率的なら、アクティブ・ファンドは市場平均を上回るチャンスがない。ここは、問題がなさそうだ。

次の質問を考えてみて欲しい。

<質問2>
アクティブ運用が市場平均に勝てないとするとき、市場が効率的でないことがあり得るか? あり得るとすれば、それはどんな場合か?

市場が効率的ならばアクティブ運用が市場平均に勝てないということはいいとしよう。だが、論理的には、逆は必ずしも真ではない。たとえば、「事態」の集合を考えるとして、アクティブ運用が市場平均に勝てない事態の集合の要素で、正しくない株価が形成されている事態の集合に入らない要素が存在するか、ということだ。

この要素(事態)は、現実に存在し得るのではないか。その要素を考えるための質問が、質問3だ。

<質問3>
市場に参加する素人も、プロも、たいして変わらない程度の(貧弱な)情報力・解釈力しか持っていない場合に、アクティブ運用は市場平均とどのような関係になるか?

このケースでは、株価が正しくない場合でも、プロが素人よりも上手に正しい株価を知ることができるわけではないから、プロが市場平均に勝てないという事態が起こり得る。市場参加者は、いわば「ドングリの背比べ」のように、甲乙つけがたいレベル差でひしめいていて、且つ常に正しい株価を形成できるほど有能ではないという状況だ。この状況を「ドングリの背比べ仮説」と呼んでおこう。

つまり、この段階で、アクティブ運用が市場平均に勝てるか否かで市場の効率性を検証しようとする試みは、論理的に正しくないのではないかという疑念が湧く。

それでは、「ドングリの背比べ仮説」が現実に成立しているかもしれないという「現実」はあるだろうか。この仮説は、アクティブ運用が市場平均に勝てない状況で、且つ株価が誤って形成されているという状況であれば成立している。

内外いずれの市場にあっても、平均的にみてアクティブ運用が市場平均に勝っていないという状況はほぼ現実に近い。前半の必要条件は満たされている。では、次の質問の状況をどう考えるか。